こんにちは。ニック・アダムス・ショーン川上マクドネルです。
max16011550_tp_v

ニックアダムスです。題名の通り今日は、最近のwelqとgoogleのことについて叫んでみようと思う。

私は、HP運営、保守、広告に従事している人間である。更には超零細企業であることを先に前置きしておく。

私の立場から

”誰もを論破できるような正論”

”自分のポジションを確立することを目的”
として提示するのは難しいことだろう。

だから、皆、ポイントを一生懸命叩いているのだろう。

だが、叩かれて埃が全くでないというのはgoogle、welq、そして私のサイトに関しても同様であろう。

そうなると、ポイントを叩くということはやはりブーメランであると言わざるを得ない。

welqの医療に関する記事の問題。確かに「おいおいそれはどうなのよ…。」という記事も多々ある。

だが、情報発信に関しては皆平等に自由である。

問題なのは、「そのおいおいどうなのよ」という記事が上位表示されてしまうことで多くの人にメジャーな理論であるかのように誤解を与えかねない
ということなのではないだろうか?

質は量と利益を重要視し過ぎると落ちる傾向にある。どんなジャンルも超絶な権威をそろえていますというのは現実的に不可能だ。

インターネットは情報がやり取りされる場だ。

資本力にモノを言わせて量、そして利益を追求し過ぎると、情報を提供する人の質が低下する流れは必然だ。

資本力があっても、その道の権威をそろえて記事を書かせることは、利益の面から難しいことだ。

法律的グレーゾーン(キュレーション)を意識した上で量を重要視し、グーグルの評価を上げる。

そのドメインの評価が上がり、どんなジャンルでもなんでもかんでも構わず上位表示される…。

そうなると「おいおいどうなのよ?」という記事までも上位表示され、メジャーな理論であるとしてネットユーザーに誤解を与えることにつながってしまうのだ。

グーグルさんよ。ドメインが強ければ大丈夫なのか?それで片づけてしまってよいのか?手を抜いてんじゃないのかそれ?
と私は思うのです。

一時情報が重要だという声もよく聞く。だが、それが全てではない。正解がどうかも定かではない。

力を持った大きな組織が、事実を公にすることなく、都合のいい理論を正論としているケースがあるのはよくある話だ。

数年前まで常識だったことが今では非常識になっていることだってよくあることだ。

インターネットは、各々の責任のもとに、数々の情報を自らの意思で選択できる、信じるか信じないかを判断できるものなのではないのか?

ガンは治るの?治らないの?

当人ならば、何が何でも治したいって思うでしょう。当人にとってはそれが全てであって、一時情報とかエライ人がいっているとか重要ではないんですよ。可能性を探しているんですよ。
※悪意のある詐欺行為は論外。ダメですけど。

「リアルな世界とインターネットの世界は、似通ってくる。」

10年前にかつての私の上司が言った言葉である。

今、小さな個人商店は大規模スーパーにとって代わられ、どんどん減っている。良品を生み出せる職人さんは、安価な商品を生み出せる大きな資本にシェアを奪われ生活が出来なくなっている。

それと同様のことがインターネットも見受けられる。

かつての上司の言葉が真実味を帯びてくる。

だが、「だからグーグルは優秀だと言えるのか?」、「リアルな世界と同様の流れを実現することだけが素晴らしいと言えるのか?」

戦後から高度経済成長期、日本は輝いていた。誇りを持てる仕事があった。その仕事で生活がなり立ち、真面目に仕事に取り組んでいれば誇りも生活も得られる環境があった。

今が良いとか昔の方が良いとか私が断定するつもりはない。

ただ、今、グーグルはインターネットの世界においては神であると言っても過言ではないだろう。政治家以上に世の中を変える力を持っている存在なのではないだろうか?

どんな世界を作る。どんな世界を実現する。そのあたりの明確な指針、意思があってもよいのではないだろうか?

グーグルは「そんなものはお前に言われなくてもある」というだろう。

だが、今の検索の上位表示記事の傾向を見ると、とてもそうは思えない。

  • ドメインの強さを重要視し過ぎるのはただの手抜きである
  • 情報は神の名の元に公平に扱われるべきで、情報を活かすも捨てるもネットユーザーである

と言いたい。

以上、インターネットの世界に魅力、希望を抱き、今まで飯を食ってきた一人の人間が、自分の身の可愛さ全開で、目いっぱい正論風なことをのたまってみた。

この記事が世界を変えることはないかもしれない。だが、たった一人のグーグル関係者の目に留まってくれれば嬉しい限りである。

執筆者について(ニックアダムス)